Thursday, December 13, 2018

イザヤ 63章

彼らが苦しむときには、
いつも主も苦しみ、
ご自身の使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって主は彼らを購い、
昔からずっと、彼らを背負い、抱いてこられた。
イザヤ 63:9
昨日のプールの祈りの中でのこと、
祈り始めると必ず複雑な思いになる祈りがあります。
とても祈りづらく、祈り始めた途端にすごい葛藤が生まれます。
ついにそれを、祈りそのものを、主に委ねる祈りをしてみました。
つまり、それはこんな祈り。
「魂の全ての願いと真心を持って、とりなす側に立ち、あなたに祈れないこの複雑な思いは、あなたご自身の思いであると信じて、今朝、この思いをあなたに明け渡します。お返しします。どうぞ、私が、自分自身で、願うべきと頑なに信じようとしていた心に、あなたの癒しと励ましがありますように」と。
私の内なる霊の痛みと私自身の痛みの区別は、実のところ、私にはつきません。
でも、それは、私ではなく、私の霊に対する侮辱だと、とても大きな悲しみを覚えるフレーズがあって、私は本当にそれを聞くのが嫌い。苦しい。悲しい。
そんなネガティブな思いから解放されたくて、祈りそのものを手放した。
やっと。ようやく。
今日で、イザヤ全66章を読み終えました。
明日からエレミアに入ります。
上手に。気もち、切り替えられたいいな。