Friday, December 14, 2018

エレミア 5章

エルサレムのちまたを行き巡り、
さあ、見て知るがよい。
その広場を捜して、だれか公義を行い、
真実を求める者を見つけたら、
私はエルサレムを赦そう。
エレミア書 5:1
夕べ、イザヤに別れを告げ、エレミアへと心の切り替えスイッチを押したはずなのに、今朝のこのことばに、イザヤの59の15と16が重なります。
「主はこれを見て、公義のないのに心を痛められた。主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。」
ここに心が戻され、心が乱される私は、これを、果たして、これが私への今朝の主の御心と思わないで済ませる方法があるでしょうか。
主と歩んできた日々、主と共に成した仕事、主が書かせてくださった文章、主が私に与えたインスピレーション、主がくださったアイデアの全てを、一旦、今朝、主にお返ししよう。
私の自己満足、私の自己防衛、私の自己中心な夢、主と調和しない不純の一切ををそこから取り除いてもらえるよう、心をこめて祈ろう。
まずは、自分のために。
それからだと思う。
それから、私は、きっと主にとりなすことの本当の意味が教えられるのだと思う。
アーメン。