主はこれを見て、
公義がないのに心を痛められた。
主は人のいないのを見、
とりなす者のいないのに驚かれた。
そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、
ご自分の義を、ご自分のささえとされた。
イザヤ 59:15&16
主は公義がないのに心を痛めてくださっている。
でも、とりなす者がいないことにも、驚かれる。
「公義がない」と不満を言う口を閉じてとりなそう、と口で言うのはとても簡単。
でも、実行するのはとても、とても、とても難しい。
今朝、思うこと。
主は、私がとりなすのを待っておられる。
心痛む主、心痛む聖霊と共に祈ろう。
ソリに乗せてくれて、プレゼントがもらえる恒例の市のサービスです。
今年のプレゼントはぬいぐるみでした。
たまたまはなと通りかかり、はなは、すぐに車から降りたけど、サンタさんに仕えるボランティアの小人がティーンエイジャーに見えると言って、悲しそうに、ソリには乗れなかった。
ずっと考えていたけど、やっぱり恥ずかしいと言って。
「じゃ、帰ろ」と私が言うと、「まっまあ〜」(あにアクセント)とどうにもならない声を出します。
難しいお年頃です。