Monday, December 31, 2018

エゼキエル 25章

人の子よ。
わたしが、彼らの力とするもの、
栄えに満ちた喜び、愛するもの、心に慕うもの、
彼らの息子や娘たちを取り去る日、
その日、のがれた者が、
この知らせを告げにあなたのもとにやっている。
その日、あなたはのがれて来た者に口を開いて言え。
もう黙っていてはならない。
あなたが彼らのしるしとなるとき、
彼らは、わたしが主であることを知ろう。
エゼキエル 26:25~27
エゼキエルは、なんと言うのだろう。
そう思って、ちらっとページをめくって、斜めに文字を追ってみる。
「あなたは心高ぶり『私は神だ。海の真ん中で神の座に着いている』といった。
あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない。」(28:2)
「あなたは自分の心を神のようにみなした」(28:6)
「それでもあなたは、自分を殺す者の前で、『私は神だ』と言うのか。」(28:9)
誰しも時々、自分を自分の神としてしまう。
でも、誰かの神になろうとはあまりしない。
結婚相手はおろか、生んだ子どもでさえ、自分のものと勘違いしてしまうほどには人生はシンプルじゃない。
あじゃなくて、難しくない。
人生はそんなに甘い罠、あじゃなくて険しいイバラに満ちた苦しいものなんかじゃない。
キリストと出会って、自分の人生さえ自分で治めきれないことをさっさと悟る若いクリスチャンも山ほどいる。
エゼキエルが相手にしているのは、一体なんなんだろう。
エゼキエルは、そんな得体の知れないモンスターを相手に、口を開いて、果たして無事でいられるのだろうか。
★写真は聖書で、私たちがよく例えられる羊です。
羊に触ったことはありますか。
私は、昨日初めて触りました。
ぜひ、一度、絶対に触ってみてください。
彼らは、この毛を定期的に羊飼いに刈ってもらわなければならないということの意味がはっきりとわかります。
とても生き物の背中だとは思えない触り心地でした。