Monday, December 3, 2018

イザヤ書 42章

わたし、主は、
義をもってあなたを召し、
あなたの手を握り、
あなたを見守り、
あなたを民の契約とし、国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
イザヤ 42:6&7
昨日の、ワーシップとリビングアートとメッセージのとてもとても豪華な礼拝の中で、私は、その豪華さとは裏腹に、寒いベツレヘムの夜空で羊を飼う羊飼いたちが、赤ちゃんの
キリストを見た時の感動はすごかっただろうな・・・、とひとりで勝手にベツレヘムを旅していた。
リビンングアートは本当に本当に美しかった。
目の前に迫る美と、頭の中の夜とか星とか馬屋とか飼い葉桶と、耳から聞こえる賛美が、私の中で完全に混ざりあい、心から感動しました。
例によって、また泣きました。
泣かない礼拝は、自分の奉仕の時、(いえ、奉仕の時ですら、ピアノを弾きながら、泣くことさえある、)ううん、ありません。
私は礼拝で、この1年以上、ずっと涙を捧げ続けています。