Monday, December 24, 2018

エレミア 50章

その日、その時、ー主の御告げー
イスラエルの咎は見つけようとしても、
それはなく、
ユダの罪も見つけることはできない。
わたしが残す者の罪を、
わたしが赦すからだ。
エレミア 50:20
同じように、罪を犯しても、残される人と、取り去られる人がいる。
運命のいたずらとこの世界は言うけれど、そうじゃない。
悔いた心、砕かれた魂の値打ちは、きっと人には見えず、みんな同じ罪びと。
昨日は賛美の奏楽の奉仕と合わせて、北側のチャペルの日本語ミニストリーでの礼拝しました。
クリスマスということもあって、たくさんの人が来ていました。
知らない人もいっぱいいた。
ピアノの近くに座りたかったけれど、そこもいつの間になくなり、ズリズリとワニのように後ずさり、後ろの方に席を確保しました。
講壇の上のピアノの前からしか見たことのなかった会衆が良く見えました。
知ってる気がする女の子を見つけました。
13歳だと思いました。
出会った日から今日までの10年間がその子の身体で測ることができました。
私の始まりに一緒にいた女の子。
10年分のドラマを生き抜いて、人と神にたっぷりと愛されながら、純粋に、美しく、聡明に成長していました。