Monday, May 13, 2019

ユダの手紙

愛する人々よ。
あなたがたは、
自分の持っている最も聖い信仰の上に
自分を築き上げ、
聖霊によって祈り、
神の愛のうちに自分自身を保ち、
永遠のいのちに至らせる、
私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
ユダ  20,21
昨日のリバイバルのための祈りをテーマにした礼拝メッセージの中で、イザヤの55章から、「祈りとは大海のようなみこころ知りを願うこと」というポイントが語られました。
しいたけとお肉が入っていた
ケース、幼稚園に持って行って、
お店屋さんごっこで使います
そんな風に考えてみたことがあるでしょうか。
私は、恥ずかしいけど、ありません。
私の必要は、私が与えられた愛する人々は、私が生きる世界は、神のみこころという大海のほんの一滴です。
そのたった一滴の大切なことを集中して祈ることすら、プールに入って、他の何事もできないようにしなければ、祈れない私です。
土曜日の夕方、ベッドである本を手にとってパラパラと読み返しました。
ドリス・J・ロングエーカーという人の「積極的シンプルライフ」。
そこに、「世界じゅうの貧しい人々の生活水準を大きく引き上げるためには、富める人々の生活水準を低くしなければならないという困難があります。」という文章がありました
とても単純な命題です。
何度か使うから捨てないでねっと
朝、クルマで念をおそう
教会学校に通う子どもたちですら、知っています。
でも、応答しなければ、知っていることにはならないとメッセージを聞きながら思いました。
大海のようなみこころを知りたいと願う気もちと、そのみこころを行う人になりたい。
今朝、プールでそう祈ってみようと思います。



命を削って執筆した彼女のこの本は、
節約とか、環境保護とかをはるかに超えた、
まさに、大海のようなみこころの実現だと思う
少なくとも、私の心は開くたびに揺さぶられます