心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、
わたしに立ち返れ。
あなたがたの着物ではなく、
あなたがたの心を引き裂け。
あなたがたの神、主に立ち返れ。
主は情け深く、あわれみ深く、
怒るにおそく、恵み豊かで、
わざわいを思い直してくださるからだ。
ヨエル 2:12,13
主の臨在の中を、主の御心のままに、真剣に生きることが、もし、習慣となりつつあるとしたら、そうでない日、そうでない時、必ず、とても嫌な気分になると思います。
その嫌な気分を1分でも長く味わうことを選び続けるなら、その嫌な感じはやがて薄れ、普通になり、そして臨在から離れ、御心を無視していることすら忘れてしまうのかもしれません。
長いあいだ赦せない心を抱え、怒りの中に生き続け、いつも疑いに満ちた人のパニックや焦燥感を、慰め、鎮め、癒し、回復できるのは十字架の血潮とキリストの刺し傷をおいて、他にないと思う。
主の愛と公正の中を生きる報いは、何にも代えがたい「平安」です。
この「平安」が嫌いな人などいるのだろうか。
いないと思う。
でも、この「平安」を知らない人は、もしかしたら、いるかもしれない。