Thursday, May 9, 2019

1ペテロの手紙3章

いのちを愛し、
幸いな日々を過ごしたいと思うものは、
舌を押さえて悪を言わず、
くちびると閉ざして偽りを語らず、
悪から遠ざかって善を行い、
平和を求めてこれを追い求めよ。
主の目は義人の上に注がれ、
主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
1ペテロ 3:10~12
毎朝、聖書のことばに励まされています。
私ではなく、私の内にある霊が、神の生きたいのちのことばを喜んでいる気がします。
いただいたみことばを、1日の終わりの時までしっかりと握りしめておくことは、簡単ではないけれど、でも、今日も努力しよう。
幼稚園での仕事を終えて、車に乗り、走り始めた時、音楽をかける前に小さく祈ります。
朝ほど、すらすらとは祈れません。
しどろもどろだったりします。
ことばにつまることもあります。
疲れた罪人は、悔い改めずには、神の前におしゃべりすることを禁じられているかのように感じる時もあります。
昨日がそうでした。
どれほど大きな距離を神さまとの間に作ってしまったのだろうと思わずにはいられなかった。
そしてひとつの決心をして、それを記事に書きました。
決心に変わりはないけれど、あまりも文章がネガティブだったので、夜中に電話を使って記事を捨てました。
ほとんど1日を臨在の中で過ごしたことがある人なら、この淋しさをわかってもらえると思う。
平和を求めてこれを追い求めよう。
きっと、今日は良い日だから。