Tuesday, June 15, 2021

主は私の光、私の救い


主は、私の光、私の救い。
だれを私は恐れよう。
主は、私のいのちのとりで。
だれを私はこわがろう。
詩篇 27:1

昨日は、その前の晩(朝?)作った問題解決リストのひとつひとつにお祈りしながら取り組みました。
取り組むと言っても、電話をするとか、調べるとか、確認するとか、そんなことです。
でも、ずいぶん、気分が楽になり、再び自信を取り戻しつつある私。
まるでこの頃のお天気のようにころころと変わる私の困った情緒さん。(「さん」づけすることで、客観的になろうと努力している・・・)
この半年の間に、私の身の上に起きたことを考えれば、全てが主の最良であり、最善であったことは知っているはずなのに、心配という種が疑いという芽を出してしまい、つい、それを育てそうになるのです。
つい、だなんて不思議でしょ。
そして、その「つい」の後の行動の方が、最初の心配よりもより深刻な問題作りとなってしまう可能性があることを学びました。
どういうことかというと、せっかく父が父の知恵で良いと判断して契約していたカード決算を、私が勝手に解約してしまい、後の支払いを自分名義でしようとしたら、手続きに2ヶ月もかかると言われて、が〜んとなってしまったわけです。
でも、それこもこれも奇跡的に、というよりは、主の憐れみによってセーフになる方法があることがわかり、でも、その手続きが終わるまでは、なんだか落ち着きません。
なにしろ、固定電話と携帯電話代金なのです。
まあ、電気や水道でなくて良かったというレベルだけど、新聞ならもっと良かったのにという、悲しいほど人間的な私でした。
良いとか悪いという話ではなく、日本というのは、驚くほどアナログな社会なのです。
しかも、発展途上国のように全てがアナログなら覚悟というか、生き方が変えられるけど、個人生活のデジタル化は普通に発達しているため、慣れない私は、どすっと、時々踏み外してしまうわけなのです。
参考までに書くけど、どこがどうアナログかというと、役場、銀行、会社が、コードだけでは何もできず、コードを印刷した紙と顔写真、あるいは印鑑とその印鑑の証明書などを主な信頼情報元としている点です。(それなので、もはやスリフトストアでしか見ることのできないファックスが普通に活躍しています 楽譜だってスキャンでやりとりできるのだから印鑑証明ぐらいスキャンしてファイルとしてEメールできそうなのだけど、そこが不思議 ポイントは紙で届くというところにあるのかな ならば納得)
どういうことかという、例えばソーシャルセキュリティ番号というコードを作って暗記しても、それを使う場合は、そのカードの裏面のコピーを郵送して欲しいと要請されるので、全くコードの意味がないわけです。
盗まれたくないから覚えるのに、コピーをすでに何十枚と切手を貼った封筒に入れてばらまいてしまった私。
たったの半年で・・・、いいけど。
Eメールでのやりとりも好まれず、電話が主流です。
日本は日本のやり方があるから、仕方ありません。
そこには関係が生まれるし対話があるし、良い点もたくさんあります。
それこそ、あなたは一体何を期待したのかとという神さまの声が聞こえそうなので、このくらいにしておきます。
ともかく、心配はろくな結果をうまないということを書きたかったのです。

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