Friday, February 13, 2015

Becoming the Beloved

わたしの目にはあなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
イザヤ43:4
私がここで何を語っているか、分かってくれるでしょう。
あなたも私と同じように、「誰か」が、あるいは「ある出来事」によって、ついに自分の願っていた幸福感が与えらられる、と願っていないでしょうか。
しかし、そのような神秘的な時を待ち続けているかぎり、つねに不安とあせり、欲望と怒りに捕らわれて、決して満足することなく、あたふたして走り続けるしかありません。
これこそ、ひっきりなしの忙しさに私たちを追い立てる強迫観念であり、同時に、長い間走り続けても、どこに着くかわからないために、私たちを悩ませるものです。
これこそ、霊的枯渇や燃え尽きへの道です。
その先には霊的な死が待っています。
もちろん、あなたも私も自滅への道を歩む必要はありません。
私たちは愛されている者です。
両親や教師、結婚相手や子供や友人が、私たちを愛したり、傷つけたりするはるか以前から、私たちは深く愛されています。
これが私たちの人生の真理です。
その真理を、あなたにも受け取っていただきたい。
わたしはもう、人生の折り返し点をとっくに過ぎました。
あなたはまだ、人生の前半にいるといえるでしょう。
ですから、いまこの時点で、ただ問題をもつれさせるだけの宝探しにこだわる必要はないことをわかってください。
あなたは、巧みに人を操るこの世界の犠牲になったり、あらゆる形の依存症という罠にはまる必要もありません。
そこでもしあなたが、「愛されている者」としての旅の開始に興味があるなら、私は伝えたいことがたくさんあります。
ヘンリ・ナーウィン
経歴を読んでみるとカソリックの司祭を経て、イェールやハーバードで教え、1996年に亡くなっています。
それほどたくさんのみことばを並べていないのは、カソリックの先生だからかな。
今日も自分なりに彼の文章を一言で表すみことばをと、必死に聖書をめくって自分で選んでみました。
ベッドに寝転んで読んだ時には、気づかなかったけど、彼はこの本の文章の全てを、あのマルコの1:11「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」に向って書いているのかもしれないとも思います。
だとしたら、このデボーションの中で、毎回反対方向から証明できることばを聖書に探すというチャレンジが私を待っているのでした。