Saturday, February 7, 2015

主の庭・その2

今日はなと歩いた中で、一番意外で感動したのが
このコミュニティーガーデン
テーマが連続しちゃって、申し訳ないのだけど、えっと、人の気もちをわかる力の話です。
そもそも、私が、こんなふうに毎日毎日、自分の感じたこと、思ったこと、考えたことを書くには、その目的というものがたぶんあって、それが、一つにはバランスを保つための必要っというか、吸ったら吐く的順番っというかね。
ある程度大人になってから、言葉で聞かなかったり、聞いたこととは反対の人の心というものがあるのかもしれないって思えるようになり、でもそれを自分には知ることができないってことも自覚できるようになりました。
いつも、なんだかちょっと対・人間に不安があるので、いつしか極力黙っていることが習い性となりました。
だって、本当にありえない場所に
ありえない姿で忽然と
でも、そんな中で、わからない分だけ、みんながわかりにくいことわかるところもあるということにも、これまた大人になってから、なんとなくわかってきました。
それで、そういうことを話す機会が私にはどうしても必要です。
それは、吸ったら吐きたいという、自然な順番としての必要なので、ガマンするととても苦しくなります。
例えば、それは、この『おはようスポルジョン』だったり、幼稚園での週に一度の職員会議だったりするのだけど、そこは、本当に心の底から聞く人を信頼して、安心して話すことのできる、安全な場所。
私の数少ない、自分を見せることのできる場所です。
そして、長年、それをみつけることができずにいるが、教会という、私の第3の居場所なのです。
ちゃんとうさぎもにわとりも、
農家のおばちゃんもいおじちゃんもいた
先週の礼拝でのメッセージで、クリスチャンであるにも関わらず、教会につながっていないということは、王家の養子であるにも関わらず、路上で寝泊りするようなものだと教えられ、私は心からそれにアーメンと思います。
でも、お城に住みながら、そこに暮らす家族の長のような方々と大切な話ができないって、どういうことなのだろうって、立ち止まって考えこんでしまいます。
これでも私、クリスチャンになって15年、そして教会生活も15年です。
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