Saturday, February 21, 2015

はっぴーえんどにしておくれ

ほら、冬は過ぎ去り、
大雨も通り過ぎて行った。
地には花が咲き乱れ、
歌の季節がやってきた。
山鳩と声が、私たちの国に聞こえる。
いちじくの木は実をならせ、
ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。
わが愛する者、美しいひとよ。
さあ、立って、出ておいで。
雅歌2:11 12
私たちはここで、自由な決断に直面することになります。
感謝の思いでいるか、苦い思いでいるかの決断です。
自分が選ばれていることを認める決断もできれば、心の影の側に注目する決断もできます。
もし私たちが影の側を見つめることにこだわるなら、結局は闇に引き込まれてしまうでしょう。
私はこうしたことを毎日、私の過ごしているコミュニティの中で見ています。
その中心的なメンバーである知的ハンディを負った男性や女性たちは、苦い思いのままで留まる理由はいくらでもあります。
彼らの多くが深い孤独を経験し、家族や友人から仲間はずれにされ、人生を共に過ごすパートナーが欲しいという願いもかなわず、つねに手助けを必要とするという挫折感から逃れられません。
にもかかわらず、彼らのほとんどは苦い思いを選びません。
むしろ生活のたくさんの贈り物に感謝を表します。
たとえば、夕食への招待、数日間のリトリート、誕生日のお祝い、とりわけ、友情を示し、介添えをしてくれる人々との暮らしへの感謝に溢れています。
苦々しい思いを超えて感謝を選び取ることによって、彼らを助けている介助者、すなわち、知的障害は負っていないが、同じ選択に迫られているすべての介助者に、希望と霊感を与えるすばらしい源になっています。
私たちは光を受け続けるにつれ、ますます光を放つ者にされることに気づきます。
感謝は感謝を生み出します。
ちょうど愛が愛を生み出さずにはおかないように。
ヘンリ・ナーウィン
あつ~っくて、ちょっぴり濃くて、とびきりおいしいコーヒーができた、素晴らしい朝です。
おはようございます。
ヘンリ・ナーウィンの文章に、そっとよりそうような聖書のことばを、雅歌から選びました。
そして、それにぴったりの音楽を聴きながら書いています。
オリジナルはきっととても有名なんだと思うけど、残念ながら知りません。
タイトルは、『Green Tea Farm』。
音楽の向こうにキラキラろまぶしい茶畑と、さらにその向こうにまだ白いものをかぶった小高い山々の頂が見えるような音楽です。―でも、飲んでるのは国産(USA)のコーヒーね。
愛されている者としてすべき最も大切なことは、感謝を選び取ること。
感謝の気もちがわくのを待っていたら、日が暮れちゃうということなのだね。
日暮れ前に、笑顔ではっぴーえんどな1日にしようではありませんか。
アーメン
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