Wednesday, February 11, 2015

Spiritual Livig in a Secular World

そして、天から声がした。
「あなたは、わたしの愛する子、わたしいはあなたを喜ぶ」
マルコ1:11
私の言いたいことは、「あなたは愛されています」という一言に尽きます。
私のもっとも願っていることは、愛のみが持つやさしさと力強さに満ちたこの語りかけを、あなたが聞き取りますように、ということです。
私の友情によるあなたへの最高の贈物は、あなたが愛されている存在であることを伝えることです。
ここ何年かで分かってきたことは、私たちの人生における最大の罠は、成功でも、名声でも、権力でもなく、自己を拒否することです。
成功や名声や権力は、実際、大きな誘惑をもたらします。
しかし、それらに人が魅了されるのは、自己を拒否するという、もっとも大きな誘惑から出ていることが多いのです。
おそらくあなたは、自分の拒否することより、高慢のほうが強いと考えるかもしれません。
しかし実際は、高慢とは、自己を拒否することの別な面ではないでしょうか。
高慢とは、自分がみているような自分の姿を他人に見られまいとして、自分を高い位置に置くことではないでしょうか。
高慢とは、突き詰めて言えば、自分には価値がないという感情を別な仕方で表しているのに過ぎないのです。ヘンリ・ナーウェン
私、正直言って、かなり自己評価の甘い、かなりの自惚れ屋で、神に愛されていることは教えていただかなくともちゃんと知っていますっ、て思っていたけど、でも、この文章を最初に読んだ時、とてもドキドキしました。
高慢とは自己を拒否のひとつであるって、ヘンリーは言うのです。
えっ?って思う人、たくさんいると思う。
それで、この本をじっくりともう一度読みながら、私は、私たちは、神に愛されていることを、ちゃんとわかって、クリスチャンライフを生きているだろうかって、考えてみることにしました。
ほんの少しづつ、読みすすめてゆきます。
どうぞ、しばらくおつきあいくださいませ。