Friday, February 6, 2015

愛を教える・愛を学ぶ

今日、臨時の保護者面談の中で、人の気もちを感じる力の弱い子が、どうすれば、ハッピーな人間関係を築くことができるかってテーマで、園長とその子のママと私の3人で、1時間かけて話合ったのだけど、私は、偉そうにいろんなアドバイスをしながら、でも、私なんて、まさにその大人版だよね、ってずっと考えていました。
全然タイプが違うから気づかなかったけど、実は私、彼女のわからなさが、とてもよくわかる人かもしれない。
様子をみながら、方針や態度を決めてゆくっていう人がすごく苦手。
彼女の言葉を借りるなら、「大きらい」。
私が、ペアレンツ・ハンドブックや、ポリシーについて文書で細かく説明したグループの手引書や、聖書を読みやすい書物と思える理由はまさにそこにある気がするのです。
つまり、人の顔色や、言葉にならない感情や、その場の空気を読む力が弱いので、決まりごとはさっさとと読んで、気に入れば、ぽっこり頭にいれて、もくもくとそのポリシーの中で、自分の役割を果たすことができるけど、顔色や、空気や、事実と裏腹な言葉(イヤよイヤよも好きのうち的)で説明されても、決して永遠に私はわかることができない不幸がそこにあります。
いつもなんだかよくわかんない悲しみとすれすれのところで、なんとか神さまに守られながら生きているいる気がするのです。
金曜日の夜です。
帰りに、キッチンで、何かを洗っていたパートナーに、「おつかれさま、良い週末を」って言われ、私の口は勝手に英語で言うみたいに自動的に、「ありがとう、センセイもね」って言いました。
そして、パーキングをクルマに向って歩きながら、心から彼におつかれさまと思いました。
こんな私と一緒に仕事をするのは、本当に骨の折れることと思います。
アーメン
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