Thursday, February 19, 2015

礎の石のように

「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。
これは、試みを経た石、
堅く据えられら礎の、尊いかしら石。
イザヤ28:16
ここで私たちは、偉大な霊的神秘に触れることになります。
この選ばれるということは、他者を排除するものではありません。
私たちが生きている競争社会にあったは、こうした発想はとても困難です。
たとえば、選ばれることにまつわる私の記憶はすべて、他の者は選ばれないという記憶と繋がっています。
いつもその微笑みのかたわらに涙があり、その涙のかたわらに微笑みがありました。
神に愛されている者として選ばれるとは、それとは根本的に異なったものです。
他者を排除するのでなく、他者を含むものです。
それは競争ではなく、思いやりによる選択です。
私たちの思考は、これを現実的に把握することはとても困難です。
たぶん私たちの理性では、決してそれを理解できないでしょう。
おそらく、私たちの心だけがそれを理解できるのです。
私はあなたに懇願します。
「選ばれる」という言葉を、この世に引き渡さないでください。
ヘンリ・ナーウィン
難しいですね。
私にも、実はよくわかりません。
でも、この礎に選ばれた石を思うと、ちょっとだけわかる気がするのです。
それは、同じ石。
それは、特別に優れている素材で強くできてるわけではない、たぶん普通の石。
でも、全体のために選ばれてしまった礎の石。
お用いになるには主なので、その場所も他との組み合わせも全部、主が完璧にやってくださるので、礎の石は、特別でなくともいいのでないかと思う。
追記:もっともらしく書いてみたけど、実は、今日こそ、本当に聖書のことばを選ぶことができず、どおしよ~っと思いながら、ばさっと開いたところに、このことばが、青い色鉛筆で囲んでありました。
そして、これだ!って思ったの。
ハレルヤ
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