Thursday, February 12, 2015

Being the Beloved

カインとそのささげ物には目を留められなかった。
それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
創世記4:5
自己拒否と高慢は両方とも、現実の存在から私たちを引き離すので、人々がいたわり合う共同体を築き上げることを、不可能でないにしても、きわめて困難にさせます。
私が自分を拒否するとき、そこに大きなプライドが隠れているのと同じように、得意になっているときも、意気消沈しているときも、私は真実から離れ、現実の見方を歪めてしまいます。
私が願うのは、それが高慢であろうと、低い自己評価であろうと、なんらかの形で、自分の内に自己拒否の誘惑があることをあなたが認めることです。
自己拒否は、霊的生活の最大の敵です。
しれは、私たちを「愛する者」と呼んでくださる聖なる声に反することです。
私はその真理の周囲を、大小の円を描きながらグルグルと走り回り、自分は愛されているという確証を与えてくれる人や何かをいつも求めていました。
ヘンリー・ナーウェン
今朝読んだこの箇所は、昨日の『あなたは私の愛する子、わたしをあなたを喜ぶ』という聖書のことばを掲げられた文章の続きだけど、私は、何か新しいみことばをここに紹介したくて、創世記のこのことばを選びました。
人類初の殺人の箇所です。
私が、高慢を低い自己評価の表れってヘンリーに言われて、最初の思ったのが、このカインの弟殺しです。
かわいそうなカイン。
神に愛されていることを、信じることができなかった人。
そして、私の中にもいると思う。
かわいそうなカイン。