Sunday, February 22, 2015

Blessd~呪ってはいけない

いまだかつて、だれも神を見た者はありません。
もし私たちが互いに愛し合うなら、
神は私たちのうちにおられ、
神の愛が私たちのうちにまっとうされるのです。
Ⅰヨハネ4;12
神の家には住む部屋がたくさんあります。
そこは、誰にでも開かれている独自な、特別な場所です。
一度でも神に深い信頼を置いたことがる人なら、他の人が持っている尊さと、その人が神の心に独自な場所を占めていることを認めることができます。
私には、だんだんと気づかされてきたことがあります。
それは、私たちはとても恐れ、心配し、不安定な存在であるがゆえに、祝福を必要としていると
いうことです。
子どもは親からの祝福を必要とし、親は子どもからの祝福を必要としています。
私たちはすべて、すなわち、教師と生徒、医者と患者のあいだで、互いに祝福を必要としているのです。
私たちは、互いに承認し合う必要があります。
承認なしに生きていくことは難しいことです。
祝福を与えるとは、相手を承認するという、私たちが他の人に提供できるもっとも重要な行為です。
祝福するとは承認することであり、その人が「愛されている存在である」ことを肯定することです。
祝福を与えるとは、口にしたことを現実化することです。
ヘンリ・ナーウェン
朝から、いきなり、申し訳ないのだけど、祝福の反対語をご存知でしょうか?
それは、呪いです。
私たちの小さな人たちのクラスで、この呪いのことばが、大きな問題になっています。
保護者同士の間にも緊張感と悲しみが広がり、私は心が痛くて今週末は、ふっと気づくといつも彼女たちのことを考えています。
周囲の大人たちがことばや言い方を禁止して、正しい気もちの伝え方を教えても、本当の解決にはならない気がしています。
呪いを呪いと知り、そこは暗い敵の国で、呪いは敵のことばということを知ってほしい。
神に対する恐れを感じてほしい。
小さくても、3歳でも4歳でも人の魂はみな、神さまがお造りになったものだから、神によって、真理が知られることを信じています。
まずは、自分が神に、親に、友だちに、せんせいたちに愛されていることに気づいてくれるようにと祈っています。
アーメン
 ↓

クリスチャンブログ