Tuesday, February 24, 2015

帰属感

私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。
私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、
私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
詩篇139;7,8
あなたも私も、自分がいかに気分で流されやすい者であるかをよく知っているはずです。
ある日、とても気分がよくても、次の日は惨めな思いになります。
ある日、次から次へと新しい発想が涌いてきても、次の日はすべてがつまらない、たいしたことでないように思えます。
ある日、世界のどんな問題でもやって来いと考えますが、しばらくすると、ほんの小さな課題さえも手に負えないと感じます。
しかし、私たちが深くやさしい声に、すなわち、私たちを祝福する声に耳を傾けるかぎりは、私たちはしっかりとした安定感と真の帰属感を抱きながら、自分の行程を歩き通すことができます。
沈黙の中に歩み入り、この世界の騒々しい、「あれをしないさい、これをしなさい」と要求する多くの声をあとにして、その先に、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」という、小さな親しい語りかけを見出すことは容易ではありません。
しかし、あえて私たちが神の前で静まることを受け入れ、沈黙に親しもうとするなら、その声を知るにいたるでしょう。
ヘンリ・ナーウィン
今朝の私にぴったりの、ヘンリのメッセージでした。
ヘンリの帰属感ということばが大すきです。
カナダ人のヘンリの英語にはきっと、アイデンティティとあったことでしょう。
でも、その言葉をいつもなんだか、ちょともてあましていたけど、今朝、帰属感と言われ、ほんの少し、帰属感の芽のようなものが生まれた気がします。
私のアイデンティティは、クリスチャンといういうブランドやキリスト者というレッテルにあるのではなく、天国にあったのでした。
だから、天の声を、天の静けさの中で聴こう。
単純なメッセージに、単純に心からアーメンと思います。
昨夜は、めずらしくよく眠れませんでした。
人の声が重い空気となって、部屋に満ちていて、寒くて、苦しい夜でした。
なぜか、本当に不思議なことに祈らなかった。
祈るという手段がこの世界に存在しないかのように、私はひとりで苦しみながらただ寝返りをくり返していた。
すごく、不思議だけど、まさに敵の領地での苦しみだったことに今朝、気づきました。
『おはようスポルジョン』のタイトルの横にローマの8:38を英語の訳で掲げて続けてきた私なのにね。
Love...nothing can ever separate us from God's love
アーメン
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