Sunday, February 15, 2015

故郷の記憶

平和の神ご自身が、
あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。
Ⅰテサロニケ5:23
親愛なる友よ。
私たちが愛されている存在であることは、聖霊による生活の初めであり、また完成です。
私がこう言うのは、愛されているという真理を私たちが把握するやいなや、その真理を満たそうとする探求の旅路へと私たちはうながされ、かつその真理の内に憩えるまでは、真に憩うことができないからです。
私たちすべての人間は、その心の深いところに、失った楽園の記憶があるように思われます。
魂のホームを探し求める以前はその故郷にいたのです。
私たちの思いと心の奥深いところには、私たちの求める宝が隠されています。
私たちはその尊さを知っています。
そこに、私たちがもっと探し求めている贈り物、すなわち、死よりも強い命があることを知っているのです。
ヘンリ・ナーウェン
私の心の中にも、故郷があり、そこに宝があると思います。
砂場で遊ぶ子どもたちの中にも、私はそれを見ました。
単純に自分を好きとおもえる心が、全てのはじまりのようです。
どんなであっても、自分を楽しみ、自分を喜べる心は、人の身体のその命のはじまりから、故郷として、神によって備えられた宝だと思います。
その宝にはGPSが埋め込まれているため、私たちは、決して、どこで何をしていようとも、神に背中を向けて、違う方向に向いている限り、変な気もちがつきまとうのかもしれません。
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