Sunday, December 1, 2013

プライド

主はこう仰せられる。
「わたしは万物を造った主だ。
わたしはひとりで天を張り延ばし、
ただ、わたしだけで、地を押し広げた。
わたしは自慢する者らのしるしを破り、占い師を狂わせ、
知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする。
わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、
わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。」
イザヤ44:24,25
連休最後の日の朝です。
イザヤを開いて読みました。
スー・オーガスティンの本の本当のタイトルは、『埋もれている夢を掘り出す21日間』ではありません。
このフレーズはタイトルの下に続く言葉です。
本当のタイトルは、『過去の傷がいやされるとき』といいます。
私には、こんなタイトルの本から、必死に真理を学ぼうとすることへのわけのわからない抵抗がありました。
それで、〝ノンクリスチャンの方々とともに〟になんて言いながら、ちゃっかり必死に救いを求めてて真剣に学んでいたことを、今朝、正直に白状します。
「なにもかもとっくに赦しているし、これから先、何が起きたとしても、主と共に赦し続けます。」などとは絶対に言えるものではないと思う。
少なくとも私だけは、言ってはいけない。
私は、この2年の間、生まれてはじめての大きな挫折の中にいました。
それは、たぶん、スーがいうように、とらえ方によっては、何もなかったと同じようなことだったのかもしれない。
それは、家族の問題ではなかったから、母に電話でなぐさめてもらうことはできなかった。
それは仕事の問題ではなかったから、前の職場の先輩や今のコ・ワーカーたちに助けてもらうこともできなかった。
それは、健康の問題ではなかったから、お薬を飲んだり、お医者さんにみてもらうことはできなかった。
それは、経済の問題ではなかったから、がんばって都合をつけて解決することもできなかった。
それは私の内側で大きくなったり、小さくなったりしながら、時々消えたかと思うと、また突然現われる、厄介で醜く、そして難しい問題、私の『プライド』。
誰も気づかなかった私の挫折、一大ピンチに、いつも私の側から一緒に考えてくれた人がひとりだけいた。
そう、ゆりかさん。
今朝、彼女とスーに心からありがとうと言いたい。
そして、この感謝祭の休暇の最後の朝、このプライドを主にゆだねる決心をします。