新しい朝、休日の朝、時間を忘れてエレミアの教えに聞き入り、ひたすら貪るように読み続けました。
難しいことはよくわからないけど、エレミアという偉大な預言者の悲しみには2600年後の私の偶像へのゆがんだ愛も含まれていたのかもしれないと思いました。
それはとても漠然とした思いなので、何をどう悔い改め、何をどう変えてゆけばよいのか、わかりません。
ただ、神によって私の前に立てられたこの世の権威に、全力で自分を従わせてみようと思うのです。
なにを見ようとも、なにを聞こうとも、どう感じようとも、何を思おうとも。
好きだろうと、嫌いだろうと。
正しくみえようと、間違ってみえようと。
それを吟味するのはその権威を私の前に立てた神の領域であり、そう信じるようにと、神は、エレミアを通して私に語ってくださっている気がします。
地上の父、夫、教会の牧師、教会の役員方、職場の長、職場の先輩方。
そう考えてから、思い至ったことは、私にも素晴らしい権威が恵まれているという事実。
その筆頭にあげたいのが、職場の長。
彼女の率いる群れ、彼女の治める職場に属していることへの安心感は、私のような超マイペースでわがままな働き人にとっては奇跡のような恵みなのでした。