まことに、神である主はこう仰せられる。
見よ。わたしは自分でわたしの羊を探し出し、これの世話をする。
エゼキエル34:11
これは一体どういう意味だろうと思いながら、34章をじっくり読んで、じっくり読んでもあんまりよくわからず、でもなんだかわかった気のする神さまのあわれみに感謝しました。
そして、もう一度、父なる神と、キリストイエスと、聖霊が私の人生にそれぞれの方法で関わってくださっているという、漠然とした事実について考えてみました。
おいしいコーヒーを作って、聖書を開き、しばらく読んで、ラップトップを開きます。
この朝の静かなひとときに何をするかが、私の今日にとって、とても大切なことなのだけど、それは私の人生にとっては、もっと大切なことだなって思う。
うちの中の一番あたたかい場所に、聖書とコーヒーとラップトップを持ってきて、座ったとき、泣きたいほど、切なく、こう思った。
この小さな家が好き。
この新しい朝に、こうしてひとりで、この家の一番よい場所で、好きなことができる私は世界で一番幸せな「祈る人」だって。
祈る人、つまり祈っている最中ってみんなきっとそう思うのよね。きっと。
木の下で祈る人も、ビーチで祈る人も、書斎で祈る人も、ベッドの脇で祈る人も、みんな。