Wednesday, January 21, 2015

なかなおり

わたしがきよい水をあなたがたの上にふりかけるそのとき、
あなたはすべての汚れからきよめられる。
わたしはすべての偶像の汚れからあなたをきよめ、
あなたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、
あなたがたに肉の心を与える。
エゼキエル36:25
昨日の朝、山から帰った賢人に、どうだったって聞くと、2秒ぐらいをおいて、私がこの半年以上もの間、ずっとずっと、願っていたことばが、彼の口からぽろりとこぼれ、私は、彼を抱きしめながら、神さまに、心から感謝した。
歌うこと、祈ること、
みことばを読むことはけっしてやめられない
ひとりのちいさな礼拝
それは、一言、「なかなおりした」という短いことばだったけど、その中には神さまの大きな大きな御業のきっぱりとした結論の重みがありました。
PAIDという大きな判子みたいなね。
私たちは、この半年、この話題の中だけで、親子でした。
彼は、あらゆる意味で私を無視し続けていたけど、こと、このことに関してだけは、彼は、私に、自分の変化のひとつひとつを知らせてきていました。
それはいつもたったの一言だったけど、私は、その言葉をたよりに、祈り、祈り、祈り、そして祈った。
ただただ祈った。
そして、今朝思うの。
10歳の彼が主イエスを自分の救い主として受け入れ、従う決心をした時も、こんな試練の真っ只中だったな・・・。
なかなおりは、きっと、神さまとなのね。
賢人が神さまを赦した。
賢人が神さまに赦されていることに、もう一度、気づいた。
そういうこと