Tuesday, February 5, 2019

マタイの福音書 16章

だれでも
わたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、
自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。
いのちをを救おうと思う者はそれを失い、
わたしのためにいのちを失う者は、
それを見いだすのです。
マタイ 16:24&25
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。26
毎朝、プールで祈る時、父と母のことになる度、言いようのない安堵が私の胸に広がります。
神さまの御業に感謝のことばもないほどです。
そして、父が受洗を決心した、イコール、母も受洗した。
という式に、遅ればせながら、驚くばかりです。
父と母の結婚を主が守り、祝福し、導き、ついに彼らは本当に一心同体となったのでした。
きっと、もう、とっくにそうだった。
母が運転免許を返して以来、ふたりは、どこに行くのも、何をするのも一緒。
家の中にいてさえ、お互い、どこで何をしているのかちゃんと分かっていたから。
そして、父は母という十字架を、母は父という十字架を負って、キリストに向かって歩み始めました。
★父と母の洗礼式といえば、これ。
お祝いに入った回転寿司で、つい、興味をそそられ、オーダーしてみたら、こんなだった。
とり天寿司・・・。