これは、
主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。
詩篇 118:24
自分に人生に責任を持つ、という考えは特に目新しいものではないでしょう。
私たちは、このようなメッセージを今までなんども聞いてきました。
でも、本当の意味で理解しているでしょうか。
もし、あなたが被害者としてふるまい続けるなら、この先、自分の人生に責任を持つことはできなくなるでしょう。
今いる現状の被害者だと思ってしまうと、主に二つの理由で無力になってしまうでしょう。
一つは、幸せを外的要因に求めてしまっていること。
もう一つは、成功できないのは周りのせいだ、と非難していることです。
結婚したいのに独身だった李、限界を超える仕事、逃げ出したい人間関係から抜け出せなかったり、子どもたちにイライラしてしわを増やしたり、物事が全然うまくいかないようなら、あなたは被害者を演じてしまっているかもしれません。
人生をコントロールできないと感じるのも無理はありません。
被害者は無力ですから。
過去にしがみついて、未練を持ち続けている限り、現状を離れて、神様が私たちに与えようとしているものが全て揃っている未来へと進んでいくことはできません。
あなたがこれからの人生で、すべての責任を受け入れるなら、どれほどの自由を感じられるでしょう。
過去の傷がいやされるとき スー・オーガスティン より
この本について書く時、いつも特的の誰かのことが思い浮かびます。
初めて、自分のためじゃなく、誰かのために書いてるからだと思う。
「おはようスポルジョン」を書き始めて、初めてです。
誰かのために真剣に書くの。
今日は、お兄ちゃんのことを思いながら書きました。(お兄ちゃんは読んでいないにも関わらず)
お兄ちゃんは、妹の私から見ても、とても恵まれた人だったと、今でも思っています。
どこに、どんな、そんなにまで心を閉ざす出来事があったのだろうと、本当にわからずにいます。
父も母も同じ思いだと思う。
お兄ちゃんは、とてもハンサムで、いつもお友だちが一杯いた。
私、何度もお手紙を預かった。
女の子から。
二度も結婚した。
二人ともとても綺麗な人だった。
二人共、最後まで努力してくれたと思う。
少なくとも、お兄ちゃんよりは・・・。
厳しいようだけど、お兄ちゃんに対して、私は、きっぱりと言いたい。
スーの言葉をそのままぶつけたい。
もし、あなたが被害者としてふるまい続けるなら、この先、自分の人生に責任を持つことはできなくなるでしょう。
人生をコントロールできないと感じるのも無理はありません。被害者は無力ですから。
今度帰ったら、お兄ちゃんのいる隣の部屋で断食して祈ろうと思っているぐらい私は本気なのです。