きょう、救いがこの家に来ました。
この人もアブラハムの子なのですから。
ルカ 19:9
ザアカイの家のことです。
このエピソードのポイントは、−ザアカイの家が祝福されたポイントは、ザアカイがイエスさまを喜んで家に迎え入れた、ということは頭ではわかっているのだけど、でも、心のどこかで、でもザアカイさんは、お金もちだったわけでしょ、召使いもたくさんいたはずでしょ、だから、イエスさまを即座に招き入れて、おもてなしするのは簡単だったはず・・・、という疑問がありました。
お金もちが救われるのはラクダが針の穴を通るより難しいとあるけど、ザアカイだけは例外ね、っと。
でも、そうじゃないことにようやく気づきました。
ザアカイはそれら一切と引き換えに救いを選んだのでした。
私、毎朝、プールで散々いろんなことを祈った最後に、家のことを祈っています。
バスルームの壁もどうにかしたいし、フロントヤードのフェンスもやりかえたい。
ダイニングエリアの窓を大きくしたい。
ダイニングエリアの窓を大きくしたい。
救われる前のザアカイさんに憧れているのかもしれません。
それで、今朝、その両方が欲しいと祈ります。
家族の救いも、そして家の祝福も。
この家がもっともっと祝福されることと、住んでいる人が残らず救われることは、同じこと。
きっとそうなのだと思う。