Monday, February 18, 2019

ルカの福音書 3章

「あなたは、わたしの愛する子、
わたしはあなたを喜ぶ。」
教えを始められたとき、イエスはおよそ30歳で、
人々からヨセフの子と思われていた。
このヨセフは、ヘリの子から順次さかのぼって、
・・・・・・
ダビデの子、エッサイの子
・・・・・・
ヤコブの子、イサクの子、アブラハムの子
・・・・・・・
セムの子、ノアの子、
・・・・・・・
セツの子、アダムの子、
このアダムは神の子である。
ルカ 3:22~38
「このアダムは神の子である」という声明に、心が温まります。
小さな人たちに、アダムを悪い子のように、私たちの罪の始まりのように、その側面だけを教えてしまいそうになるけど、それは、話の半分であって全部じゃない。
この世界に神の霊によって生まれたのはキリストとそして、アダムだったことを、ちゃんと伝えなければいけないと思った。
そして、私も、忘れずにいよう。
私たちはアダムの子孫であることを、最初から恥ずかしく思う必要はどこにもない。
アダムは神の子だったのだもの。
アダムは神さまが喜ばれた最初の子だったのだもの。
アダムによって、私たちの人生はちょっと複雑になってしまったけれど、でも、それでも、キリストによって、その複雑さが乗り越えられるようにもなったのだから。
「最初からやり直すことはできないけど、違う結果を作ることはできる」とスーの本にもあったけど、それはそういうことなのだと思う。
神さまはアダムを作り直すことはされなかった。
この系図からもわかるように、ノアでさえアダムの血を引く者に変わりない。
22節に、「人々からヨセフの子と思われていた」とあるのはどういう意味なのだろうと、考えてみたことがあるでしょうか。
それは、もしかしたら、「ヨセフの子じゃない、ダビデの子でもない、イエスは神の子、アダムの子。」と言いたかったのかもしれないと、思うのです。
★こたつで書いています
ちょっと暗いのが難点
ご飯を食べながらおしゃべりするにはちょうど良い明るさなのだけど・・・
居間作りプロジェクト、まだまだ続きます