屋上で天の万象を拝む者ども、
また、主に誓いを立てて礼拝しながら、
ミルコムに誓いを立てる者ども、
また、主に従うことをやめ、主をたずね求めず、
主を求めない者どもを絶ち滅ぼす。
ゼパニア 1:5,6
神は二心の者をいとい、偽善を憎まれる。
偽りの神に傾倒している偶像礼拝者はひとつの罪を犯すだけである。
しかし、汚れた忌まわしい犠牲を主の宮に携えてきながら、他方では世と世の罪に心を傾けている二心の者は、二つの罪を犯している。
正しいと認めてそれに従うことを公言しながら、他方において悪を愛してそれに心をゆだねている罪人を、神の義が赦すはずがないからである。
片足を真理の地に置き、他の足を偽りの海に置けば、恐ろしい倒壊と破滅の危険を招くことは間違いない。
キリストは私たちにとって、すべてか無かのどちらかである。
神は全宇宙を満たしておられる。
だから他の神を入れる余地はない。
もし神が私の心を支配しておられるなら、他の支配力を入れる余地は全くない。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
ゼパニアを開くのに、探してしまいました。
イザヤよりももっと後ろ、旧約の終わりから4つめでした。
わずか3章の小さな書物だけど、内容は、とても重いものです。
キリストなど存在しないかのように生きているノンクリスチャンが、時々、とても幸せそうに見えるのは、そういうわけなのだと、今朝のスポルジョンの説教を読んで思いました。
だからといってキリストを捨てることは絶対にできません。
時々、とても苦しくても、それを乗り越えれば、もっとキリストに近づけるから。
それを、知っているから。
今日も、良い日でありますように。