もし私たちが、彼とともに死んだのなか、
彼とともに生きるようになる。
もし耐え忍んでいるなら、
彼とともに治めるようになる。
もし彼を否んだなら、
彼もまた私たちを否まれる。
私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。
彼にはご自身を否むことができないからである。
Ⅱテモテ Ⅱ:11~13
異邦人への使徒パウロは、これらのことばの確実性を証明した。
それは今なお一つたりとも廃ることなく、そのまま受け入れるに足るものである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
旧約のことばではなく、新約聖書の中のパウロのことばであることを思えば、その重みがありがたい。
私は、耐え忍ぶような迫害には今だかつて一度もあったことはありません。
いつだって、キリストは、キリスト者という私の身分は、私を守ってきた。
でも、もし、いつか、そんな苦しいところに立つ日が来たら、パウロのこのことばを思い出そう。