Thursday, November 23, 2017

朝ごとに 11・23

もし私たちが、
神と交わりがあると言っていながら、
しかもやみの中を歩んでいるなら、
私たちは偽りを言っているのであって、
真理を行ってはいません。
しかし、もし神が光の中におられるように、
私たちも光の中を歩んでいるなら、
私たちは互いに交わりを保ち、
御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
Ⅰヨハネ Ⅰ;6,7
信仰によってキリストに結び合わされた時、私たちキリストとの完全な交わりに入る。
その時、主と私たちの関心事が共通となる。
キリストが愛される者を、私たちもまた愛する。
主は聖徒を愛し、罪人を愛し、また滅びようとするあわれな人類を愛して、この地上が主の花園に変わることを求められる。
私たちもそうである。
主の幸福の中にあって幸福である私たちは、主のあがめられることを喜ぶ。
この世では、キリストの喜びを私たちのうちに満ちあふれさせる以上に、きよく心を感動させる喜びはない。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
昨日、帰り支度を整えて、園舎を出る間際に、お隣の教室(今はちょっと違うけれど)の
子どもたちが作ったなぞの足跡
先生に来週から必要な音楽について、一言声をかけて、CDを手渡して園舎を後にしました。
毎年感謝祭の前日の夕方に小さめのターキーを探して、走り回るという仕事を恒例にしてしまっているので、ちょっと焦っていたけれど、ターキーを無事に手に入れた瞬間、彼女と座って、手をとって祈ってくればよかったと思いました。
今朝、主の聖い光と同労者との交わりは本当に=だと思う。
彼女には、素晴らしい教会があって、そこには責任大きな奉仕があって、そして、主にある聖なる交わりがあります。
そして何よりも成熟大人クリスチャンのご家族の祈りに支えられている。
そんな健康体のクリスチャンの彼女に祈ってもらえばよかったなって。