わたしの上に主の御霊がおられる。
主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
わたしに油をそそがれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕らわれ人には赦免を、
盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために。
ルカ 4;18
捕らわれ人を解放できる者は、イエスのほかにない。
真の自由は主によってのみもたらされる。
それは高い価によって買われた自由である。
あなたが自由にされたのは、主が拘束され、苦しまれたからである。
身も心も軽くなったのは、主が代わって重荷を負われたからである。
イエスの与えられる自由は永久不変であり、どのような鎖によっても私たちを再び縛ることはできない。
主なる方が私に「捕らわれ人よ、あなたを解放する」と言われると、永遠にそうなのである。
私たちの偽りに満ちた心は、私たちを苦しめ悩ますかもしれない。
しかし、私たちのうちに良いわざを始められた方は、そのわざを継続しまた完成される。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
ルカの4章にはふたり(?)の悪魔が出てきます。
6節のおなかがすいて疲れたイエスさまを誘惑する悪魔は、すごい嘘つきです。
33節の人を狂わせたいた悪魔は、すごい正直です。
共に悪魔の正体です。
すごい嘘つきですごい正直な悪魔。
クリスチャン以上にイエスキリストにくわしい悪魔。
スポルジョンの言うところの「私たちを苦しめ悩ます」心はきっと、人にはよくわからない霊の世界の闘いなのだと思う。
肉体の中に生きる以上、それはよくわからなくも当然と開き直り、昨日のイザヤの33章のように、岩の上の要害に住む人になりたいです。