Saturday, November 18, 2017

朝ごとに 11・18

私の妹、花嫁は、閉じられた庭、
閉じられた源、閉じられた泉。
雅歌 4:12
ここには、どんな人間の熟練によっても到達できない霊妙ないのちがある。
それは、他の何びともうかがい知れない秘密である。
神に選ばれた者は、永遠の神のみこころによって分かたれている。
他の人々とは異なるいのちを与えられたことによって区別されている。
すべてのクリスチャンは、一人一人が神のしるしを受けていることを思うべきである。
たとえこの世と地獄のすべての力が一団となって来たとしても、この大原則は微動だにしない。
それをお与えになったお方が、いのちをなげうって守っておられるからである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
私たちクリスチャンは、この世界から、秘密に分け隔てられた特別で安全な水源、泉であると、スポルジョンはそう、教えているわけです。
これを、どう理解するかはとても難しいところだけど、私はこう思う。
これを、自分にあてはめるのはとても難しいけれど、兄弟や姉妹にあてはめてみたい。
身近な、難しい問題の中にいる兄弟、姉妹を思いうかべてほしい。
信仰がためされている彼らについて、はたでああだこうだと噂するのは、神さまの秘密の泉が濁っていると噂するのと同じと思う。
ああすればよかったこうすればよかったと裁くことは、神さまの秘密の業を疑うことと同じと思う。
もし、私が神の泉のひとつなら、考えて発言することよりも、ただ黙って泉に来る人を待つ泉でいたい。
時々、難しいけれど、でも、今は、そう信じている。