しかし、主は、
「わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、わたしの力は、
弱さのうちに完全に現れるからである。」
と言われたのです。
ですから、私は、
キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
Ⅱコリント 12:9
神に仕えようとする者は、神ご自身の方法で、また神ご自身の力によって仕えなければならない。
そうでなければ、神は決してその奉仕を受け入れられない。
人が神の力の助けなくしてしたことを、神は決して承認されない。
地が生み出した果実を神は退けられる。
神はご自身のものをあなたの中に入れる前に、まずあなたのもっているすべてのものを取り出して空にされる。
神は最上の小麦をもってあなたの穀倉を満たす前に、まず穀倉をくまなく掃除される。
あなたは、自分の弱さを嘆くのか。
勇気を出せ。希望を抱け。
あなたが空虚なのは、あなたが満たされる準備である。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
スポルジョンには、そうなのだろう。
主にあって、強くなればなるほど、その残りわずかな弱さを差し出すように、主は強く、容赦なく、要求されるのかもしれない。
でも、私には、そんなことない。
主は、私が、主を忘れ、無我夢中の時でさえ、下から、落ちないように、支えてくれる。
落ちていく瞬間に、「主よ!」と叫ぶなら、必ず、抱きとめてくださる。
私にさえ、そうなのだから、もっと弱い病気のお兄ちゃんを、主が助けてくださらないはずがない。
人の弱さとは、まるで、銀行の預金のよう。
残りが少なくなればなるほど、主の訓練は厳しくなる。
でも、預金は何倍もの利息と共に天国へトランスファーされる。