Thursday, March 12, 2015

さらば傲慢

たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、
また私のからだを焼かれるために渡しても、
愛がなければ、何の役にも立ちません。
Ⅰコリント13:3
愛はお互いがより人間らしくいることを許しあうことです。
誰もが失敗をします。毎日のように。
愛はそんな時、すぐに正すために報復することをせず、忍耐をもって時間を差し出すことを選ぶことなのです。
人間関係においてタフさを求められる時、プレッシャーから逃げ出すことなく、辛抱強くあることは、あなたを信じられないほどの高みにひきあげます。
The Love Dare より
英語の本なんて全然読みたい気分じゃなかったけど、でもやると決めたし、えりさんも一緒に読んでくれていることを思い出して、がんばって、先を読んだら、今朝の私に必要な情報の全てがそこに書かれていました。
心の中をイエスさまのやさしくて聖らかな光で灯していただくと、そこには人を裁く気もちがどんっと大きく供えられていました。
まるで神社に奉られている鏡餅のように。
偉そうに。
ひび割れ、カビのはえた鏡餅です。
えいっと、それを心の中から放り出す決心をします。
何が解決なのかという疑問を抱えて、夕べは一睡もできませんでしたっていうのはウソで、目を閉じて8秒後には意識がなく、次に目を開いたら、朝でした。
解決しようという気もちそのものが、愛に欠けているのね、きっと。
束ねたい気もちを捨て、聞くこと、受けとめること。
保護者おひとりおひとりの気持ち。
そして、天を仰ごう。
きっと私の言葉は天から、その時に降りてくる。
アブラハムがイサクを山に供えた時に、神の声が降りてきたように。

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