彼らの中から、感謝と、
喜びと笑う声がわき出る。
わたしは人をふやして減らさず、
彼らを尊くして、
軽んじられないようにする。
エレミア 30:19
伴侶があなたにとって「神聖な」存在であるべきというのは、夫あるいは妻が完璧な人であるという意味ではありません。
神聖さとは、より崇高な目的ーありきたりで日常的な目的ではなく、特別でユニークな目的ーのために、他者とは区別するということです。
あなたにとって神聖な存在になるなら、その人以外にあなたの心を占める人はいません。
夫や妻はあなたにとって神聖な存在であり、尊敬を受け、称賛され、守られるべき人物なのです。
相手を尊敬するという試みが報いられない場合であっても、相手に敬意を払うべきです。
愛を決断し、あえて挑むことーこれはこう告白することです。
「あらゆる人間関係の中で、私たち夫婦の関係が最も大事です。
私が喜んで犠牲を払おうと思うことは、あなたと一番深い関係であることです。
私のすべての失敗、罪、過ち、そして欠点を詫び、あなたのあらゆる失敗、罪、過ち、そして欠点を含めてーそれが過去であっても現在であってもー、私はあなたを愛し、あなたに尊敬を払うと決めています」。
「決断する愛」より
3度めの学び、しかも日本語なので、このことの意味が少しかもしれないけど、わかるようになりました。
今週、幼稚園の仕事が終わっても、教会の賛美チーム内での、果てしない連絡と確認のやりとりの中で、私が一番、気をつかったのは、夫に対しての態度だった。
うわの空にならないように、ラップトップを抱えて、席を立ってしまわないように。
そして、それは、聖霊さまの助けによって概ねちゃんとできていたと思う。
The Love Dare というタイトルのこの本の原語である英語版を手にした時、一章、一日分を1週間かけて読みました。
ただ、読む、ということだけで精一杯だっだけど、学びのパートナーだったえりさんに助けられ、励まされながら、とにかく40週間歩き通しました。
二度めは、課題にチャレンジしました。
できでもできなくても、立ち止まることなく、めげずに40のチャレンジにトライしました。
そして、今回、なんのプレッシャーもなく、気楽に楽しく、日本語のことの本を毎日、シェアしていて、「少しは、愛するということがわかってきたのかもしれない」と思います。
自惚れかしら?
でも、いいの、自分で、そう感じるのです。