Tuesday, July 25, 2017

決断する愛 第17日 愛は親しみを増す

見よ。
わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、
わたしは、彼のところにはいって、
彼とともに食事をし、
彼もわたしとともに食事をする。
黙示 3:20
結婚とは、あらゆる人間関係のうちで、最も新密度が濃い関係といえます。
だからこそ、人は結婚を心から求めるのです。
どんな人でも、他人から認められ、愛され、受け入れられたいという餓え渇きを持って生まれてきました。
そんな自分の心の奥底まで知ってくれている人とひとつ屋根の下で暮らせることは、結婚生活が持つ最大の喜びのひとつと言えるでしょう。
けれども、この素晴らしい祝福の場が、最大の危険地帯ともなり得るのです。
これほど親しく私たちのことを知っている人となると、想像を遥かに超えた深い愛情で愛してくれるか、完全に立ち直れないような傷を与えるかのどちらかだからです。
このように考えてみてください。
神は、その人自身さえ気がついていない秘密を知っているのに、それでも測り知れない深い愛で私たちを愛しておられます。
それなら、不完全な人間である私たちはなおさら、優しさをもって伴侶に手を差し伸べ、
理解し、ありのままを受け止め、隠れた問題があっても気にしないことを保障してあげるべではないでしょうか。
「決断する愛」より
なかなか考えさせらる文章ではないでしょうか。
お兄ちゃんのこを考えながら読みました。
病気のお兄ちゃんのありのままの姿を受け入れることは、私にとって、おそらく、私の両親にとっても、とてもつらいことです。
身体の病気はともかく、生きる希望に満ちた、前向きで健康な心を取り戻してほしいと心から願って、そのように祈ってきました。
でも、今朝、ちょっと、考えてみています。
健康で幸せであるべき、お兄ちゃんが病気になっていつも悲しそうにしていることの、どこがいけないのだろうって。
神さまが、悲しいから私も悲しいという、そこから、離れて、悲しむのは、お兄ちゃんをいっそう苦しめることになりはしないかなって。