Tuesday, January 22, 2019

ナホム書 1章

見よ。
良い知らせを伝える者、
平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。
ナホム書 1:15
日本に行って、帰ってきて、そして、また、何事もなかったかのようにここで、こうして、聖書を開いて、読んでいます。
でも、行く前と今の気もちは大きく違います。
主は私の
「どこでもドア」
日本がとても近くなりました。
4日あれば行ける国。いえ、行ける街。
ただ行っただけじゃない。
主と共に負った責任の私の分を果たせたと自分では思っている。
行きも帰りも、一生懸命に映画を見ようと目を凝らしていたけど、眠気に勝てず、まともに観たのは、往復で一本だけだった。
天地を造られた主は、この世界の歴史や大自然を人間まかせにはしておられないことは、小さな子どもにもわかることだけど、でも、時間や空間の支配をも人間まかせにはしておられないと思った。
平等に24時間が与えれ、自由に動ける空間もみな等しい限界の中で生きていると思っていたけど、そんなことないかもしれないと思う。
アメリカの入国審査も大分駅の改札口も同じだと思った。
毎朝、プールで祈る祈りに、「あなたの時」には、私をまっすぐ父と母の元へ届けてくださいますように、モーセの前で海を分けたように、私の前にあるものの全てを右と左に分けて、私をまっすぐに歩ませてくださいと祈っているけど、まさにそんなファーストクラスな旅でした。