Tuesday, January 8, 2019

クエスチョンマークの釘

親子関係もまったくおなじなのです。
親が僕のことを不足に思っていると感じる子どもは、子ども自身も親のことを不足に思っているのです。
これは人間の心理の、人間関係の鉄則です。
親はだれでも、自分の子供が、いい子であってほしいと望んでいます。
それではいい子とはどういう子どもでしょうか。
ふつうに考えれば、親のいうことをよく聞き、面倒のかからない子どもを想像します。
けれども、私のような立場からみますと、親に手をやかせないような子どもは、精神状態はけっして健康ではありませんし、自律的な機能も発達してくるのがおそいのです。
人の指図は守れるけれど、自分で考えて行動する力が身につかないからです。
佐々木正美の「子どもへのまなざし」より
牧師の子どもであって、クリスチャン医師のリーダーのような存在だった彼がこの本の中にみことばをちりばめておいてくれなかったのは、本当に残念です。
夕べ、みことばへの渇きを与えられたいと願いながら寝たら(3秒ほどね)、今朝、大変な渇きが与えられました。
たとえ3秒でもそんなこと、願わなければよかったと思うほどです。
大体、願っただけで、祈りもしなかったのに。
私は、彼のことばを聖書のみことばで証明したいと思う。
彼のことばを決定的、絶対的に裏付けるみことばを聖書の中から見つけたいと思う。
時々、自分が何をやっているのかよくわからなくなることがあります。
十字架でキリストがとりなしたあの迷子の罪びとと同じです。
これは一体何のため? 私ここで何をやっているのだろう?
いい子とは一体何か、その命題にキリストのクエスチョンマークの釘をこの心の真ん中に刺しておきたい。