Sunday, January 20, 2019

個人差を尊重するということ

人間の個々の生命、価値、尊厳は平等です。
これが人間社会の基本ルールです。
しかしながら、人間のあらゆる側面に能力差があるというのも厳然とした事実です。
通常、われわれはごく狭い範囲の物差しでつくった価値観で、「あの子は優秀だ」などとほめたりしますが、それは人間の個人の尊厳や価値に反映されるべきものではない、と自覚をもつべきだと思います。
学芸会の劇で、全員が均等に10のセリフをしゃべる脚本を作ったとしましょう。
たいへんな苦労でしょうが、これを子どもたち演じさせてみたところで、本当の意味で社会的役割を分担しあえる人間教育にはなりません。
人間には、何十、何百という無数の能力の種類があり、それぞれの部分、分野で能力差と個体差ないし得意をもった人間がいるのです。
そうした能力差、個人差を超えたところで、すべての人は平等なのだ、同じ仲間なのだ、ということを教えることが大事なのではないでしょうか。
形式的な平等感というのは、差別と同じようなものです。
真の意味での平等感というのは、もっとずっと精神的に深い部分にあると思っています。
佐々木正美の「子どもの心の育てかた」より
駅の紀伊国屋でもう一冊買いました。
3冊の大きな本、「子どもへのまなざし」をコンパクトにまとめたような内容の「子どもの心の育てかた」。
幼稚園へのおみやげです。
かゆいところに手が届いたようなあっぱれな文章です。
娘のはなのことを思いながら、読みました。(自分に娘がいたことを今朝、はっと思い出した。それぐらい、この2日濃い娘業に専念していた私・・・)
お勉強が嫌いです。
お部屋の片付けはもっと嫌いです。
歯磨きも嫌い。
でも、あの子の個性、あの子の才能、あの子の優しさ、あの子のお友だちとの良い関係を、それと引き換えたいとは思いません。
思わなくても良い、思っても無駄ということを確認しました。
すぐ忘れて、ギャーギャー言ってしまうから、飛行機降りる前にもう一度、この章のおさらいをしようと思います。はい・・・。