Wednesday, June 7, 2017

ガラテヤ人への手紙 1章

生まれたときから私を選び分け、
恵みをもって召してくださった方が、
異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、
御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、
私はすぐに、人には相談せず、
先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、
アラビアに出て行き、
またダマスコに戻りました。
ガラテヤ 1:16,17
とんで19節、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした、とあります。
私は、この箇所が大すきで、よく、この時のパウロを想像します。
オレンジの幼稚園への長距離通勤の中で、よく考えました。
プールでも考えます。
そして、最近は、リノへのドライブの間も考えました。
用いられたければ、まずは、「ひとりで主の前に出ていくべきだ」と、最近、よく発言していたら、それと対のように、「ひとりでは、成長できない」という意見を聞きます。
私には、それがどういうことなのか、よくわからずにいます。
人は人の中で生き、人の中で成長するというのは、どんな理念の中にもある保育の基本信条です。
でも、用いられたいなら、そろそろ、ひとりで主の前に出ていくべきだと、そう言えばパウロの言う、自分を誇る愚か者のように聞こえちゃうから、言わなかった。
でも、正直、やっぱり私は、そう考えます。