Sunday, June 18, 2017

Ⅱテモテへの手紙 2章

だれでも自分自身をきよめて、
これらのことかを離れるなら、
その人は尊いことに使われる器となります。
すなわち、聖められたもの、
主人にとって有益なもの、
あらゆる良いわざに間に合うものとなるです。
Ⅱテモテ 2;21
私も尊いことに使われる器となりたいです。
なれるかな。
長い間、そんな夢を見続けてきました。
来る日も来る日も。
ちょうど10年ほど。
満10年を目前にした去年の8月、幼稚園という世界で最も楽しい職場から去ることを主に命じられました。
あの日のことは忘れません。
知らない街の知らないスターバックスの窓際で園長と小さいテーブルをはさんで、2分ぐらいで決めました。
お互いに質問も何もなかった。
そして、私は、終りを実感しました。
50歳は、まだまだ人生の正午、午後はピアノを弾きながら、仕事を待とうと決めたら、教会でのチャイルドケアの仕事が直ぐに与えられ、瞬く間にピアノの生徒が集まりました。
でも実はまだ、正午じゃなかった。
50歳は人生の8時、(どんだけ生きる気か)やっとデボーション終えて、洗濯干して、お弁当作ったとこ。
私は、再び、世界で最も楽しい職場へと戻ってゆくこと許されました。
最後のチャンスです。
主によって、有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなることができますように。
アーメン