Monday, June 19, 2017

テトスへの手紙 3章

支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、
すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。
また、だれをもそしらず、争わず、
柔和で、すべての人にやさしい態度を示す者とならせなさい。
愚かな議論、系図、口論、律法についての論争などを避けなさい。
それらは無益で、むだなものです。
テトス 3:1,2&9
「不従順の報い」というものがあると思う。
「おせっかいの報い」というものもあると思う。
新約聖書も終りに近づき、小さな書簡が続くので、あまり急がずにゆっくり読み進めていると、そこには、パウロが教える健全な教会生活への条件のようなものが見えてきます。
信じたなら、このように歩みなさいと教える彼の教えを、私の3D ピクチャーに起こすなら、
●口を閉ざして与えられた役割に従順であれば、トラブルから守られ、静かで平安に満ちた誰にも奪うことのできない神さまの平安が私を包みます。
●もし、私の心に平安がないなら、私は自分の役割を果たさず、口を開きすぎて、余計なおせっかいをしている
こうなります。
昨日、はなが初めの、ジュニア・ハイの礼拝に出席する日だったのに、私は、見送ることができませんでした。
しかも先週がその初日だったのに、私とはなは、サンディエゴへ行っていて、初日をミスしたのも関わらず、です。
一月前からの計画だったので、これを変えることは考えませんでした。
グローリアがそれを楽しみにしてくれているのがわかっていたから。
初日の歓迎会をミスしたことに、とても心が痛みました。
そして、昨日は朝の8時半からのリハーサルに次ぐ賛美奉仕もあったので、送ってゆく余裕はどこにもなかった。
教会からあの子を離さないでいることが、今の私にとって、とても大事な仕事です。
でも、何もかも、自分で、自分の手や自分の目でしっかりとやり遂げようとすればするほど、私は平安をなくすことが、少しづつわかっていきました。
私は、教会でピアノを弾くための召しがあることを、昨日、信じました(おせーよ)。
この話には、オマケがあります。
はなは、昨日お友だちからスリープ・オーバーのお誕生日会の招待状を受け取ってきました。
先週、現れなかったはなのために、今週、もう一度、カードを持ってきてくれたのだそうです。
サンデースクールの頃は二つあったセッションが一つになり、お友だちもWだと喜んでいました・・・。