Saturday, March 16, 2019

Chapter 7 Reclaiming Your Inner Power

すべてのことを、つぶやかず、
疑わずに行いなさい。
ピリピ 2:14
私たちは責任転嫁合戦を続け、お互いを非難し、自分の考えや感情や行動に責任を取らずにきました。
それによって、過去の傷を越えて進んでいく力が奪われていることを自覚していないのです。
ここで問われているのは人のせいにしたり、不満を言いたくなったときの心構えです。
その誘惑に負けるなら、それがどんなことであれ、自らの力を手放すことになり、事態は悪化していきがちです。
だれのせいにもせず、状況をどう見るかを選ぶことで内なる力を取り戻すのです。
神様は、一緒にいるのが難しい人たちをしばしば私たちの人生に送られますが、それは私たちがその試練を通して貴重な教訓を学び、神様が自分に計画しておられる本当の目的を見いだす助けなのだと言い聞かせてください。
不満も非難の言葉も口にしないとは、自分の過去、現在、そして未来を愛にあふれた神様の手の中に完全に明け渡すという決意をし、霊的な責任を果たすことなのです。
スー・オーガスティンの「過去の傷がいやされるとき」より
★私が幼稚園で「園長」という役割をもらって、一番最初に知ったことは、愚痴や不満や不平をこぼす場所がなくなったということでした。
もし、「園長」という人が普通の職員と違うところ、対等でないところがあるとするなら、この一点でしかないと、気づいた時、実は、とても淋しかった。
仕事の量も質も、誰も私に負けていないし、愛に関して言えば、私は本当小さな器です。
霊においては、いつも揺れる油断も隙もない弱い信仰者です。
でも、誰の愚痴を聞くことがあっても、誰の不満を理解したとしても、誰の不平をカバーしたとしても、私は、私だけは、同じレベルで同調したり、ましてや、自分の気もちをさらけ出すことは絶対にできないと気づいた時、本当に淋しかった。
今年のお正月に、父に、Eメールのお年賀で、「園長になりました」と書いたら、「それは、責任ある孤独なお仕事ですね」と返事が来たけれど、“責任”はともかく“孤独”とはまさに、、、と思いました。
でも、今朝読んだ使徒の働きの10章にもあったけど、「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています」のように、神さまの励ましは、ただの担任だった頃とは比べ物にならないほど、大きなものがあります。
淋しさは、決してそれと引き換えにはできません。アーメン