父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、
子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。
また、父がだれをもさばかず、
すべてのさばきを子にゆだねられました。
それは、すべての者が、
父を敬うように子を敬うためです。
子を敬わないものは、
子を遣わした父をも敬いません。
ヨハネ 5:21~23
旧約聖書と新約聖書のトーンの違いはここにあるのだなっと思いました。
天の父なる神は、子なるキリストに全て、委ねられた。
イエスさまは、与えたいと思われる人に与えられる。
私は、その人になりたい。
時々ではなく、いつも。
一箇所ではなく、あっちも、こっちも。
キリストにあって、何ひとつ、不足ない人になりたい。
家庭でも、職場でも教会でも、もっともっと祝福されたい。
信仰も、身体も、人間関係も。
音楽的技術も、英語力も、リーダーシップも。
だって、キリストは与えたいと思う人に与えるのだもの。
聖い人でも頑張っている人でもなく。
だったら、私にください、たくさんたくさん。