その夜、
主がパウロのそばに立って、
「勇気を出しなさい。
あなたは、
エルサレムでわたしのことをあかししたように、
ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。
使徒 23:11
半狂乱のエルサレムのユダヤ人たちに加え、そこにローマ軍も加わり、何が起きてもおかしくない狂気と狂気のぶつかり合いの真ん中で、その責めの中心にいるにもかかわらず、冷静で、明晰で、理論的で、そして、霊に満たされれていたパウロ。
かっこよすぎ。
さすが、ガマリエルの教え子。
彼の、パウロの、人生の全てが、育ちから、学歴から何から何までが、今日のこの瞬間のために役に立っているのは神さまの、恐ろしいほどに緻密なご計画だったと思う。
感動のポイント、ちょっとずれているかもしれないけど、今朝の私は、そこにも感動してしまうのです。
人びとは、勝手です。
勝手にいろんなことを恐れたり、尊んだり、蔑んだりするものです。
でも、育ちが良いということで、誰かが自分を尊んだり、扱いに気を使ってくれるなら、それは、ラッキーというよりも、初めから準備された神さまの守りなのだと思う。
そして、その自分の努力によらない守りを纏う(身につける)ように生きることができる人は、本当に幸せです。