パウロが彼らの上に手を置いたとき、
聖霊が彼らに臨まれ、
彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。
使徒 19:6
話していても、いえ、ただ一緒にいるだけで、なんだか落ち着かない気もちになるクリスチャンっていませんか。
たいてい、素晴らしく良い人なのだけど。
アポロって、たぶん、そういう人だったのだと思います。
18章の25節、「この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。」
でも、アポロが教えた弟子たちに会ったパウロは、なんだかおかしいと思ってたずねます。
19章の2節、「『信じたとき、聖霊を受けましたか』と尋ねると、彼らは、『いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。」。
3節、「『ではどんなバプテスマを受けたのですか』と言うと、『ヨハネのバプテスマです』と答えた。」
その違いはなんなのだろう。
私にはわかりません。
私にはわかりません。
でも、ただ、悔い改めはとても大切な私たちの日々の習慣だけど、でも、霊の守りや導きは、それがきちんとできているとか、できていないということに比例しているわけではない、と思う。
★昨日、はなとぶらぶら歩いていて、見つけた古い教会
ドアが開いていたので、中を覗いて写真を撮らせてもらった