私たちはキリストのからだの部分だからです。
エペソ5:30
けれども、結婚生活のどこかで、いつしか、あなたは悲しみや痛みを味わうことになります。
お互いの関係が崩れてゆきます。
それであったとしても、依然、彼はあなのの一部なのです。
エペソ5章28節、29節には、こうあります。
「そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。
自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。
だれでも自分の身を憎んだ者はいません。for no one ever hated his own flesh,
かえって、これを養い育てます。but nourishes and cherishes it.
それはキリストが教会をそうされたのと同じです。」
cherish とは温めるという意味です
ひとりぼっちっで、寒くて、怖くて、おなかをすかせていて、そして抱かれたことのない、生まれたての赤ちゃんを、慣れない母親が、胸にやさしく抱く様子を思い浮かべてください。
これが、Cherishの意味なのです。
The Love Dare より
この文章の中には、29章の後半は書いていなかったけど、私はどうしてもこの言葉を半分に切ることができなくて、後半も書き加えました。
そして、今朝の聖書のことばは、この続きの30章を選びました。
Cherish を思う時、キリストの教会への愛を思ったからです。
教会とは、キリスト者として生きている時の私自身だからです。
キリストは、地上にご自分を置いておられます。
見えるように、聞こえるように、触れるように、匂えるように、味わえるように。
今日こそ、そんなキリストのCherish で、誰かの五感にダイナミックに触れたい。
願わくは、どうぞそれが私の夫でありますように。
それがFleshを持って地上に、夫のそばに置かれた私の役目かもしれません。
願わくは、どうぞそれが私の夫でありますように。
それがFleshを持って地上に、夫のそばに置かれた私の役目かもしれません。
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