Sunday, May 10, 2015

エノクに習うこと

信仰によって、
エノクは死を見ることがないようにされました。
神に移されて、見えなくなりました。
移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
へブル11:5
開いた聖書に目を落とすことも、メモを取ることもせず、ひたすらじっと、牧師のメッセージを全身を耳にして、聞くことに集中していまし
た。
天の故郷への憧れと、この世界での成功や幸せの狭間で揺れる私たちに、唯一、その両方が重なるものがあるとするなら、それは、もしかしたら、エノクに習い、この世界で神に喜んでもらうことなのかもしれません。
家族や友だち、コ・ワーカーや幼稚園の子どもやその保護者たち、教会の人を喜ばせようと努力する時、その努力が神の願っていることなのだろうかと考えてみることで、天か地か、神か世か、信仰か自己満足か、そのどちらに仕えているかを知ることができるとしたら・・・・。
そんなことを考えながら、聖書を閉じました。
追記:いい気になって、修理して蘇った最初の聖書を持ち歩いていたら、恐ろしいことに、表紙の表面がレースのように透けてきはじめてきました。
靴の修理のように本の修理屋さんというものはないのでしょうかね。

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