私たちが 神を愛したのではなく、
神が私たちを 愛し、私たちの罪のために、
なだめの供え物として御子を遣わされました。
ヨハネ4:10
けれども、人生のいたるところであなたは、もう一度、今の結婚相手とも、恋に落ちることができるのです。
ただし、それはあなたがどれほど、彼との関係を重んじているかによります。
それは、神へのCommitment のあなたの選択、それを土台にした、気分とは関係のない愛です。
これを土台にしなければ、崩れてゆくのか私たちの結婚なのです。
神の愛、愛される価値のない私たちを愛してださる神の愛ゆえに・・・、なのです。
The Love Dare より
どきどきしながら、訳しました。
すごく大切な文章だと思います。
Commitment という言葉は、まさにこういう文章の中で使うべき、重い、重い言葉、そう思います。
夫や子ども、親、友達、職場や教会、どこに向けても、どこか、区切りや限界のある、小さな私たちの義務や責任、契約ではありませんか。
そして、どこか危なっかしい駆け引きのようとも思います。
でも、神へのCommitment はどうでしょう。
たとえ受け入れられなかった忠誠の思いも、別な形でカバーされ、あっ、それの方が断然よかった的、想像を遥かに超えた無限の保障付きなのです。
書きながら今朝、気づいたのだけど、私はただ、それだけのために、離婚をしないことを選んできたのだと思います。
神へのCommitment、私の中の日本語では神への畏れ。
でもこのThe Love Dare でのデボーションを通して、彼との結婚を、もう一度選ぶことを教えられているます。
アーメン・・・
書きながら今朝、気づいたのだけど、私はただ、それだけのために、離婚をしないことを選んできたのだと思います。
神へのCommitment、私の中の日本語では神への畏れ。
でもこのThe Love Dare でのデボーションを通して、彼との結婚を、もう一度選ぶことを教えられているます。
アーメン・・・
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